| 1922年11月26日: チャールズ・モンロー・シュルツ、ミネソタ州ミネアポリスでカール&ディナ・シュルツ夫妻の一人息子として誕生
1920年代: セントポールのマトックス・スクールの幼稚園で先生から「チャールズ、いつかあなたはアーティストになるでしょう」と言われる。
1930年代: 少年シュルツ、コミックに興味を持つ。特に、ポパイやウォルト・ディズニーのキャラクターなどに強い関心を持つ。
1934年: スヌーピーのモデルとなった白黒の犬がシュルツ家にもらわれる。その名はスパイクであった。
1937年: シュルツにとって初めて印刷される作品となった愛犬スパイクのスケッチが新聞漫画ロバート・リプリーのBelieve
it or notに採用される。
1939年―1940年: 高校の最上級学年在籍中にのちにART
INSTRUCTION SCHOOLとして知られる連邦制学校の通信講座で漫画コースを受講する。
1940年: 高校卒業。高校の卒業記念アルバムにシュルツが寄稿したイラストは採用されなかった。
1943年: シュルツ20歳で陸軍に徴兵される。初歩訓練の最中に母を癌で亡くす。シュルツ、機関銃分隊長としてドイツ、フランス、オーストリアに従軍。のちに回想し、「孤独についてのすべてを軍隊で知った」と語っている。
1945年: シュルツ復員、セントポールに戻る。
1947年: セントポール・パイオニア・プレスで掲載されたパネルコミック
"LIL'L FOLKS" (リル・フォークス)でシュルツの漫画家としてのキャリアがスタートする。
1948年―1950年: シュルツ、17作品のパネルコミックをサタデー・イヴニング・ポストに売る。
1950年: いくつかの不採用を経て、ユナイテッド・フィーチャー・シンジケートに作品を売る。配信会社はその漫画を「ピーナッツ」と改名。シュルツは生涯そのタイトルを気に入ることがなかった。
1950年10月2日: 「ピーナッツ」が7紙でデビュー。シュルツが最初のひと月に配信会社から支払われた稿料は$90だった。
1951年: シュルツ、ジョイス・ハルヴァーソンと結婚。コロラド州コロラド・スプリングスでわずかの期間暮らしたのちミネアポリスに一家は戻る。
1952年: 「ピーナッツ」のサンデー版スタート。この年掲載数は全米で40紙となる。また、初めての単行本「ピーナッツ」が出版。
1955年 コダックが最初の製品スポンサーとなり、「ピーナッツ」のキャラクターをカメラの取り扱い説明書に登場させる。同年シュルツは、全米漫画協会からリューベンを授与。
1958年: シュルツ、妻と5人の子供たちとともにミネソタからカリフォルニア州セバストポールに移住。「ピーナッツ」の掲載数は全米で355紙、海外で40紙となる。初めてのスヌーピーのプラスチックドールが製造される。
1960年: ホールマーク社がピーナッツのグリーティングカードを製造。フォード社がファルコンの広告キャンペーンにピーナッツのアートとアニメーションを起用。
1962年: "HAPPINESS IS A
WARM PUPPY"(幸せはあったかい子犬)が出版。「ピーナッツ」が全米漫画協会からベスト・ユーモア・ストリップに選出される。
1964年: シュルツ、全米漫画協会が主催するリューベン賞史上初の二度目の受賞を果たす。
1965年: 「ピーナッツ」がタイム誌の表紙を飾る。初のアニメーション作品"A
CHARLIE BROWN CHRISTMAS" がテレビ放映される。のちにエミー賞およびピーボディー賞を受賞。
1966年: 父カールがカリフォルニアのシュルツ一家を訪問中に死去。セバストポールのスタジオが火事で焼失。
1967年: ミュージカル"YOU'RE A
GOODMAN, CHARLIE BROWN"がオフ・ブロードウェーで初演。アメリカでもっとも多く制作上演されたミュージカルとなる。
1967年5月24日: (当時)カリフォルニア州知事ロナルド・レーガンが議会の式典においてシュルツを迎え、「チャールズ・シュルツ・デー」を公布。
1969年: チャーリー・ブラウンとスヌーピーがアポロ10号で宇宙飛行士たちと宇宙へ飛び立つ。シュルツ、カリフォルニア州サンタローザにレッドウッド・エンパイヤ・アイスアリーナを開設。
1972年: シュルツ、ジョイスと離婚。
1973年: シュルツ、ジーニー・フォーサイス・クライドと再婚。シュルツ、テレビのアニメスペシャル"A
CHARLIE BROWN THANKSGIVING"でエミー賞を受賞。
1974年:シュルツ、パナデナのローズパレードでグランドマーシャルをつとめる。
1975年: 「ピーナッツ」25周年。掲載数全米でおよそ1480紙、海外で175紙、読者数9000万人になる。テレビのアニメスペシャル"YOU'RE
A GOOD SPORT, CHARLIE BROWN"がエミー賞を受賞。
1978年: モントリオールにあるInternational
Pavilion of Humorがシュルツをその年最高の漫画家に選出。
1979年: シュルツとリー・メンデルソン共著の"HAPPY
BIRTHDAY, CHARLIE BROWN゛が出版。
1980年: シュルツとR. スミス・キリパー共著の"CHARLIE
BROWN, SNOOPY AND ME"が出版。テレビアニメスペシャル"LIFE IS A CIRCUS,
CHARLIE BROWN "がエミー賞を受賞。
1983年: テレビアニメスペシャル"WHAT
HAVE WE LEARNED, CHARLIE BROWN"がピーボディを賞受賞。カリフォルニアのナッツベリー・ファームにキャンプ・スヌーピー開設。
1984年: 「ピーナッツ」の掲載紙数が2000紙に到達しギネスブックの世界記録に認定。
1985年: "YOU DON'T LOOK
35, CHARLIE BROWN" が出版。カリフォルニアのオークランド・ミュージアムで35周年記念展示会"THE
GRAPHIC ART OF CHARLES SCHULZ"が開幕。
1986年: カートゥーン・アート・ミュージアムによってシュルツが漫画家の殿堂入りを果たす。
1989年: リタ・グリムリィ・ジョンスン著 "GOOD
GRIEF"(グッド・グリーフ)がシュルツの協力のもと出版される。
1990年: フランス政府がシュルツに芸術勲章を授与。゛SNOOPY
IN FASHION"がルーブル美術館で開催。ワシントンD.C.にあるスミソニアン国立歴史博物館が「THIS
IS YOUR CHILDHOOD, CHARLIE BROWN展」を開催。
1992年:モントリオール ミュージアム オブ ファインアートで「SNOOPY,
The Masterpiece展」開催。シュルツ、イタリアの文化大臣より表彰。
1995年: 「ピーナッツ」45周年を記念してフロリダ州のスペースセンター・ヒューストンで「AROUND
THE MOON AND HOME AGAIN: A TRIBUTE TO THE ART OF CHARLES M.
SCHULZ展」が開催。
1996年6月28日: ハリウッド・ウォーク・オブ・フェイムにシュルツの星が登場する。
1997年10月16日: シュルツと妻ジーニーは、ヴァージニア州のD-DAYメモリアルの建設に$100万を寄付することを発表。カーネギーホールでエレン・テーフ・ズウィリック作曲による「ピーナッツ・ギャラリー」が世界初演。
1999年: シュルツ著「PEANUTS: A GOLDEN
CELEBRATION」が出版。"YOU'RE A GOODMAN, CHARLIE BROWN"(きみはいい人、チャーリー・ブラウン)がブロードウェー作品として新たに制作上演される。この年、「ピーナッツ」の掲載紙数が全世界で2600紙におよび、また、「ピーナッツ」の関連商品が20,000点以上になる
。
1999年12月14日: 健康上の理由からシュルツが引退を発表
2000年1月3日: 最後のデイリー版コミックが世界中の新聞で掲載。
2000年2月7日: カリフォルニア州議会が2月13日をチャールズ・シュルツ・デーと制定。
2000年2月12日: シュルツ自宅で永眠
2000年2月13日: 最後の日曜版コミックが全世界の新聞に掲載
2001年5月17日: 米国郵政公社発行の「ピーナッツ」記念切手発行がカリフォルニア州サンタローザにあるレッドウッド・エンパイヤ・アイスアリーナで行われる。
2002年8月17日:Charles M. Schulz
Museum and Research Centerがサンタローザで開館。
シュルツ没後受賞歴
2000年5月: 米国漫画協会がミルトン・キャニフ、ライフタイム、アチーブメント・アワードを授与
2001年6月7日: 米国がシュルツの功績をたたえ、民間人として最高の栄誉である「議会金章」(コングレッショナル・ゴールドメダル)を授与。
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